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コトバの3K事情(2009年8月21日)


 ひとむかし前の3Kと言えば、きつい、汚い、危険、または高学歴、高収入、高身長ということだったけれど、新3Kとは、きつい、帰れない、給料が安いとなるそうである。コトバは世に連れ、世はコトバに連れということかもしれない。

 もしも私が、今年の架空3K大賞に応募するならば、無難なところで、経済恐慌、覚醒剤、格差社会とするかもしれないが、これではあまりにもありきたりである。

 これからの日本の高齢化社会の3Kとは、カネ、健康、孤独であると思う。これは高齢者に限らないかもしれない。お金と健康がなければ生きて行くのは大変であるのは間違いないけれど、孤独はどうか。孤独死が日常的におきている。人間ひとりぼっちでは死にたくないものだと思う。誰かに看取って欲しいと思うけれど、長生きをすればするほど人はこの孤独と向き合うことになるのだ。

 私の父は、数年前に母が亡くなってから田舎でずっと一人暮らしをしていた。そしていつの日からか、父は自らの枕元に手のひらサイズの携帯ラジオを置くようになったという。そして明け方に目覚めると、決まってラジオのスイッチを入れ、イヤホーンで聞いているというのである。私はこれを聞いた時、絶句してしまった。
 そして西東三鬼さんの

   「水枕ガバリと寒い海がある」

 という句を思い浮かべたのである。

 近年の出版業界の3Kとは何か、売れる本の条件は昔から3Kではなく2K+Sといったところか。カネ、健康、セックスという具合であるが、私はこれには大いに不満である。Sではなく I 、インテリジェンスの I か日本語の愛であるべきなのだ。
 村上春樹さんの1Q84現象が何を示唆しているのか。

 本における新たなる3K事情は世界のどこにでもあり、同時にどこにも存在しないものだ。作者によって一冊の本の中に産み落とされるコトバとは人間の想像力を喚起させる力をどれだけ持っているかということ。つまり我々を空想の世界に誘わしめるコトバの喚起力の凄みである。これは他のビジュアルアート(映画、テレビ、漫画)では絶対に到達し得ない。そしてそれは彷徨える人々の孤独な魂を少しだけ癒してくれるものであるに違いない。

 喚起力もKだし、コトバもKだし、孤独もKである事に、はたと思い至った私は、日本語のか行、かきくけこが不思議でならない。コトバの家業(ナリワイ)は、か行に通ず、かもしれないと思うこのごろである。

フジモト


オイドル(2009年7月27日)


 アンパンマンでお馴染みのやなせたかし著「人生90歳からおもしろい」という本のキャッチコピーがふるっている。

  おれは老人の星なんだ。
  老いたるアイドル、
  オイドルだ!。

 でもこのくらいでおどろいてはいけません。同じく、やなせたかし責任編集の季刊誌「詩とファンタジー」2009年夏空号掲載の特集では(百歳の詩より引用)

ウフ

とにかく
人間なくて七癖だが
大風呂敷を広げる
癖がある俺さん
見っともいい
のがも一つ
プラスの
自慢で
ござるんで
ござるんじゃ
わいな!
セッカク広げて
見せたんを今度は
ちぢめてマトモ人間
らしく見せなはる
こんたんじゃ
なくてナンじゃいな
ウフ

 このとぼけた味わいの作者は、まど・みちおさん、齢100歳である著者は「やぎさんゆうびん」(1939年)白ヤギと黒ヤギの間で終わりなく繰り返される手紙のやりとりがユーモラスに歌われている作品や「ぞうさん」(1948年)鼻がながーいこと(自らの特徴)を肯定し誇りとするということが盛り込まれているという作品、などなど。
 100歳にしていまだ現役作家です。

 さて、ここで小社・市田印刷出版での最高齢出版者をご紹介します。
五月女タカさん、大正5年7月生まれ。齢93歳 
 著者はあるとき、納屋の奥から黄ばんだ原稿用紙の束を発見する。これはどうも50年以上も前に書いたもののようだ。50年前、著者は故あって教師として、ある田舎の分校に赴任したことがある。これはその時に書き留めたものであるらしい。何しろ今から50年も前、昭和34年の出来事である。
 それは50年前の古き良き日本の風景と空気感、はたまた若い教師の熱い想いの丈が原稿用紙の端々まで横溢しそうな見事な作品でありました。今回、著者自らが加筆訂正を施して本の完成に至りました。目出たし。

以下「分校っ子」(2009年8月市田印刷出版刊行より抜粋)

 犬とねこと大根

 まだ分校に着任して間もない頃であった。たんぼ道のいくすじものどれを歩くかとまどった時分、ある朝いやなものを見てしまった。スカートでは一寸寒い位だったから勿論堀には水が来ていなかった。その堀の中に子供なら四、五才位もあろうか腹の大きな黒白の犬がこもからはみ出てドサリと捨てられてあった。学校に着くまではあまり人にも会わないたんぼ道の堀。私はギョッとしてたちどまってしまった。よい年をしてと自分を叱りながら行きすぎたが、わざわざこんな所にすてなくても何とかならないものか心のすみでは土でも一寸かけてやろうかと思ったがその勇気も出ず登校してしまった。次の朝はその堀近く急にあの事を思い出し、わざわざ遠廻りして登校したのである。そしてまわり道して往復することが何日か続いたある日、本校から一時半までに来てくれと言うのでバスの時間もないし又例の道を歩いて来た。私の心には分校とあの犬がやきついて忘れられず家に帰っても思い出すほどだったので見まいとしても自然と視線がそこへ行っていた。ところがどうでしょう「あれ!まあ!」と私は一人でに声が出てしまった。その犬から一メートルもはなれたかと思うところに今度は赤ちゃん位の大きさの黒白のねこが分厚い紙からはみ出てドサリと捨てられてあるではありませんか。私は急に足が重くなってしまった。ハンカチを口や鼻にあてた。そして犬やねこを捨てに来た人がにくくなった。
 何とかならないものか、児童達の登校する道にこのような事を平気ですてる人の、もしそれが父兄であったとしたらこれからの分校の教育が思いやられる。なにもこんなところに捨てなくとも処理の仕方はいくらもあろうに、一人の人か二人か一度ならず二度までも家に帰ってもいよいよその事を忘れることが出来なかった。
 やがて学校の仕事に追われ、ぼつぼつ児童達とも親しみをまして行った私は、五日六日と朝も帰りも道は遠廻りときめてあのいやなものは目にはしなかったが、雨も降り堀にはそろそろ田植えの頃を迎えて水がとうとうとみたして来たので、ある日例の道を子供達と歩いて来た。柳の木が堀の水にたれその下に例のものが一かたまりになって流れずにつかえているらしい。児童達ももうその事は知っていて「臭いぞ臭いぞ」と私の廻りで鼻をつまんでいた。
 ところがそこから十メートルもはなれたろうか、そこまで行ったとき少し浅瀬になった両岸に土のついた大根が三百本もあろうか、ずらりと水にひたしてあった。やがてだれかきて大根を洗いそれを市場に持っていくのだろう。又そこから少しはなれた所にはお菜を沢山洗ったあとが残っていた。

 犬ねこを捨てた堀に一ヶ月位して水がきてそこで野菜を洗ってどのようなものか。犬ねこを捨てた人がまさか野菜を洗う人とも思われぬが、とにかくそれをずーと見てきた自分は胸が一杯である。
 子供らは犬だろうがねこだろうが大根だろうが今日の遊びの話で夢中である。今さらながらこのような所に住み、そして育つ者を見なおした。何となくそこにひそんだ粗暴さ、不潔さ、一朝一夕にはどうにもなるまい。しかしすててはおけない一日一日と伸びていく子供達。とにかく生き物をあわれむ心を一寸でも植えつけてやりたい。粗暴さを少しでもやわらげてやりたい。えんそく等というと本校の生徒をまかすほどシャリッとしてくるが平常の、みなりや衛生方面の行動は感心しない。とにかくその粗暴さに対しては宗教的な物語や音楽などで何とかやってみよう。衛生方面に対しては本校の先生からいただいたよい子のきまりの表に各人で記入させ自分の衛生の行動を反省させ場をとらえて指導してみよう。とにかく教師のおどろきが何らかの力となって少しでも児童教育に役立てば幸と思う。

 お風呂

 夏休みに入って間もなくのことである。すっかり教師になついたKという女の子が遊びに来てとまっていくことになった。むし暑い一日だったのに市営住宅のせまい我が家には風呂がない。そこでK子がまだ一度も行ったことのないというお風呂やに行くことになった。

 途中K子の話す言葉をきいてわたしは笑い通しだった。
「先生の家は小ちゃいね。ふすまの向こうに部屋があるんかと思ったらおし入れだね」
「汽車の音がゴーゴーひびくんでびっくりしちゃった」
 などとずばりずばりとおしゃべりをする。古い大きな農家に育った子にとってはとても珍しくおかしいらしい。

 やがて竹の湯というお風呂やについて番台のお姉さんに湯銭を渡し、かごを二つ取って一つをK子の前におき、わたしは着物をぬぎはじめた。今まで何とかかんとか話しかけていたおしゃべりがぴたりと止まっている。おやと思ってよく見るとどうでしょう。
 K子は棒を呑んだ様なかっこうをしてつっ立っている。今までたのしそうにしゃべっていた口をきゅうとむすんで二十人位も入っているだろうかその湯舟の方をじーっと見つめている。
 まさかお風呂やは、はじめてだといってもどんな所だくらいは知っているのかと思っていたらこれは本当にはじめてらしい。わたしも一寸どうしたものかと迷ってしまった。
 先生と一緒だから大丈夫だよと元気をつけてもいやだ入らないと真剣な顔つきでとても着物もぬぎそうもない。番台の姉さんも見かねて色々とお風呂やのことをはなし安心して入れるように教師に応援してくれたのでやっと入ることになった。
 そんなわけでお湯に入る前体を洗うことや上がり湯の使い方などくわしく教えることになってしまった。とんだお風呂やの教師ではある。そのうちにK子はすっかりお風呂が気に入ってしまったらしい。今度はもうそろそろ出ましょうといっても気持ちよさそうに湯舟につかっていた。
 そして番台の姉さんに笑われながら涼しい夜風の途をたのしくかえったのである。
 それから数日たって有線放送に使うテープをおさめる練習の日が来た。
 分校の三年生は夏休みになってはじめて見たもの、ためになったこと、お家のお手伝いなどの話し合いを放送する予定であった。早速児童達の発表をきくことになった。

 はじめて海を見たもの、ヨットを見たもの、東京を見たもの、その外いろいろ子供にとっては珍しい見たいものばかりだったが、その中に特にうれしい発表があった。それはあのK子の恥ずかしそうなしかし子供の夏休みの生活を生き生きとものがたる言葉であった。

 つたない子供の話す事をまとめると夏休み、はじめて見たものお風呂やさん、ためになったことはお風呂の入り方と出方をおぼえたというのである。
 教師はこのK子の発表をきいて、何ともいえない満足な気持ちにみたされた。そしてその発表を大いにほめたのである。海や東京もよいがためになることは私達の近くにいくらでもあることを力説したのである。
 海や東京も結構だが無理な家ではいくらでも近くに子供の経験しないことがころがっている。父母も子供と共に伸び伸びと夏休みの生活を過ごすように心がけていただきたいと希うものである。

 おむつ

 夏休み何度目かの召集日だった。
 真っ黒く日やけした、児童達と、久しぶりに話し合い、元気一杯に帰って行く姿を見送って一安心、私達教師も帰途についた。
 あつい日光が、かっと照りつけて、田の草取りの忙しい稲田の水も、どろんとして、むされるようだ。木影一つもない、田んぼ道、その上、風はソヨリともしない。連れの先生も「暑い暑い」の連発。と丁度、夕立で水かさの増した川に来かかった時であった。私の目に異様な物がうつった。
 ぞうきんとも、ボロともつかない布が十枚位も川のふちの草の上にひろげられて、ほしてある。そしてこの前の召集日にもそれと同じにひろげられてほしてあったのだった。
 それで私は、不思議に思って、連れの先生に聞いてみた。
「あれこの前の召集日にもあったのだけどなんでしょうね」
 すると連れの先生は声をおとして
「おむつですよ。この川で洗ってほしたんでしょう。あればっかりは、もし赤ちゃんができても、わたしは、やる気にはなれないねえ!」と言った。
 私は
「へい!」と言って、ことばにつまった。川といっても、どぶ川で、にごって淀んでいる。
「ほらあそこにも、あるでしょう」と先生の指さした方を見ると、はるか向こうの線路の土手の草の上にもそれらしいものがひろげられている。
 あのやわらかい、赤ちゃんの肌に、あのきたない川の水で洗ったおむつを使うとは、本当にびっくりさせられた。連れの先生は、この土地の人だが、その人でもそればっかりはと頭をかしげている。
 しかし忙しいお百姓のおかみさん達は、田の草取りに、赤ちゃんを連れてきて、そのおむつを、近くの川で洗って草の上にほして使うのだという。
 私の想像もつかないことだ。
 そしてこの分校の子も、そのようにして育てられた子が多いのであろう。よく丈夫に育ったものだ。否そのようにきたえられたから丈夫なのかもしれない。このような環境の中での衛生教育のむずかしさを今更ながら痛感するのである。手ふきや、鼻がみなどを忘れる児童の多いのも無理もないことである。
 私達教師は草の上のおむつの話に、しばし暑さを忘れたのであった。

 交通難?

 取り入れの秋がやって来た。どうかすると分校までは人一人会わずに行くことのある田んぼ道が、急ににぎやかになり出し、かいがいしく身支度をした農夫が通る。牛車が通る。
 そうするとのんびり者の私も不思議と歩く足どりが忙しくなるような気がしてくる。
 そんな朝、私は登校団の一くみと共に、とんだ交通難?にあってきもをつぶしたのである。
 ずっしりと実った稲田の田んぼ道を登校団の分校っ子と話しながら歩いて来た時であった。ガラガラガラというけたたましい車の音にみんな一せいにふり返った。すると後からうす茶色の、一頭の牛が角をふり立てて、空車を引き立てながら、いせいよく走ってくる。綱を持った農夫もひっぱられて走っている。
 牛には似合わぬおそろしくスピーディーな歩き方、否走り方であった。私達は牛の車をよけようにも道はせまくて、仕方がないのでどんどん早足になった。すると又牛の方でもスピードを出してくる。そこで私達はとうとう走りだしたのである。
 ところが困ったことに私達の前にもう一台の牛車が行く。そして又これはどうしたことか全くの牛の名のごとく、のろのろと行くのである。私達は前後を牛車にはさまれてしまったのである。
 片方はどろどろの川、片方はずっしりと稲ほのたれた田、道はせまくてよけようがない。いよいよになったら、川か稲田にとび込むのみだ。

 とうとう分校っ子が叫んだ「前のおじやんもっと早くしてんんな!牛がおってくるんだよ!」やっと前の牛車がふり返った。
 そしてあわてて牛を追った。私達もかけた。やっと道が二つに分かれる曲がり角になった。そして私達は二台の牛車からやっとぬけ出したのである。
 ほっとしてふり返ってみると、後から来た牛は前に行く牛を追って、相変わらず忙しい空車の音をたてながら、遠ざかって行った。
 家に帰って夫にこの交通難?を話したら「ハハハ交通難?か。交通難もよいが牛が牛を追うはどうだね」とひやかされた。
 つまり追われた牛の仲間には私も分校っ子もはいるのだそうだ。
 じょうだんはともかく、人から追われるような分校教師や分校っ子であってはならない。
 あと残る三学期この稲田のみのりのようにずっしりと手ごたえのある毎日を児童とともに勉強していきたい。
 後から来た牛に追われながら忙しい空車の音を立てて遠ざかっていったあの牛の姿が忘れられない。


ケータイ小説と出版の品格(2008年12月10日改稿)


「源氏物語の国で一つの文学的ジャンルになった」とニューヨーク・タイムズが取り上げるほどの人気であるらしい。去年の文芸書ベストセラーリストの半ばを占めている。書くのも読むのも20代の女性だと言う。(引用=朝日新聞08年2月16日)

 どの本も横組で、改行が多いというのが特徴。おじさん達にはもうついていけません。と言ってしまっては終わってしまうのだけれど。

 写真家の藤原新也さんは、「今の子たちは、ケータイ小説で抑えているものを発散させ、家庭や学校では教えられない人間関係や人生を学んでいる。ウソも見抜く力も強いから、商業的なものが増え、初期にあった思いの強さがなくなったら、ケータイ小説には何も残らないのではないか」と。そうなのだろうか。よくわからない。
 一方では、これは小説以前の口承文芸に近いのではという記述もある。
それにしても100万部を超えるベストセラーのオンパレードである。同じ内容がネットで読めるのに、何で買うのだろうか、疑問はつきないのであるけれど、現象は現象として素直に受け入れましょうという事で。 

 話はかわって同じベストセラーでもこちらは「女性の品格」である、これも女性が書いて、女性がターゲットであり主役である新書(教養書)である。
 ここでどうして「男性の品格」ではないのか、である。男性には無縁の世界の話であるのか、世の中があらゆる意味において女性に支配されつつある事の証左であるのか。それは果たして良い事なのかどうなのか、ウームこれもまた、まったくもっておじさんたちには理解不能の現象であるのだ。

 で、おじさんはこれをヒントにタイトルを「出版の品格」とでもして出版してみてはどうかと閃いた訳である。
 出版社も品格が問われる状況になっているのかもしれないと。今年に入って自費出版大手の新風舍が倒産したのも底通するものがあるような気がする、去年あたりから世の中は偽装や隠蔽に敏感になっているのだし。
 出版にも品格が必要だろうか。何でも作りましょうという時代は終わったのか。確かに本を作りたい人はあふれているが、より慎重になっている感じがする。より厳しい目で出版社を吟味している。

 三丁目の夕日という映画がヒットして、あの頃の日本人に備わっていた、清く貧しく美しくというその当時までの日本人の生き方が単なるノスタルジーではなく、その生き方への回帰の兆しが芽生えているのかもしれないというのは少しばかり考え過ぎだろうか。
 いやいやどうしてどうして、おじさんたちは、あの品のある東京オリンピックのマラソンの円谷選手を決して忘れない。その男の品格をして。
 

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